相続した築古ビルを「持ち続けるか売るか」で悩む売主への答え

QUICK ANSWER ─ この記事が答える問い

相続で引き継いだ築古ビルは、保有を続けるべきか、売るべきか。何を基準に決めればよいのでしょうか。

まず期限を書き出すところからです。相続税額の一部を取得費に加算できる特例には譲渡の期限があり、相続登記にも申請義務の期限があります。そのうえで、保有を続ける場合に引き受ける義務と将来の費用、売る場合の手取りを並べます。感覚ではなく数字で比べるために、税理士と弁護士の関与を早めに得ることが目安となります。

親が持っていたテナントビルを引き継いだ。賃料は入ってくるが、築年数は相当に経っている。手放すべきか、続けるべきか。相続の直後にこの問いを抱える方は少なくありません。

難しいのは、判断材料がばらばらに存在していることです。税金の期限、登記の義務、建物の状態、テナントとの関係、相続人同士の意向。どれも別の時間軸で動いています。

この記事では、国税庁・法務省・国土交通省・環境省の公開情報をもとに、判断の材料を並べ直します。制度や数値は2026年9月時点の内容であり、個別の判断は税理士・弁護士などの専門家への相談を前提としてお読みください。

最初にやるのは期限の書き出し

ポイントは3個:
① 相続税の申告期限は、相続の開始を知った日の翌日から10か月
② 取得費加算の特例は、申告期限の翌日以後3年を経過する日までの譲渡が要件
③ 相続登記は、取得を知った日から3年以内に申請する義務がある

相続税の申告は、被相続人が死亡したことを知った日の翌日から10か月以内に行うこととされています。(出典:国税庁 タックスアンサー No.4205 相続税の申告と納税)そして、相続または遺贈により取得した財産を一定期間内に譲渡した場合に相続税額のうち一定の金額を取得費に加算できる特例は、その財産を相続開始のあった日の翌日から相続税の申告期限の翌日以後3年を経過する日までに譲渡していることが要件とされています。(出典:国税庁 No.3267 相続財産を譲渡した場合の取得費の特例)

あわせて、相続により不動産の所有権を取得した相続人は、自己のために相続の開始があったことを知り、かつその所有権を取得したことを知った日から3年以内に相続登記の申請をすることが義務付けられています(不動産登記法第76条の2第1項)。正当な理由がないのに申請を怠ったときは、10万円以下の過料の適用対象とされています。(出典:法務省「相続登記の申請義務化について」)

売るにせよ持ち続けるにせよ、登記は済ませることになります。まずは自分のケースの日付を紙に書き出してください。それだけで、考える順序が見えてきます。

持ち続ける場合に引き受けるもの

ポイントは4個:
① 所有者・管理者としての定期報告の義務がある
② 設備更新や外装の修繕は、まとまった支出として周期的に訪れる
③ いずれ解体するなら、その費用と手続きも将来の負担になる
④ 共有のままでは、必要なときに動かせない

所有者としての義務

建築基準法第12条に定める定期報告制度は、建築物、建築設備(給排水設備、換気設備、排煙設備および非常用の照明装置)、防火設備および昇降機等について、所有者・管理者の義務として経年劣化などの状況を定期的に点検し、その結果を特定行政庁へ報告するものとされています。(出典:国土交通省「建築基準法に基づく定期報告制度について」)対象となる建築物の範囲や周期は特定行政庁の指定によるため、まず自分のビルが対象かどうかを窓口で確認してください。

賃料が入る一方で、こうした義務も引き継ぐことになります。親の代では管理会社に任せきりだった業務を、誰がどう回すのか。ここが曖昧なまま保有を続けると、指摘を受けてから慌てる展開になりがちです。

これから必要になる支出

屋上防水、外壁、給排水管、受変電設備、昇降機。築古ビルでは、これらの更新が数年おきに訪れます。年間の賃料収入に対してどの程度の支出を見込むべきか、建築士や設備業者に現況を確認してもらい、今後10年程度の概算を出しておくと判断の土台ができます。賃料から経費を引いた後にいくら残るのかが、保有を続ける意味を決めます。

将来の解体費という潜在債務

いずれ建て替えるか更地にする想定があるなら、その費用も視野に入れる必要があります。建築物等を解体する作業を伴う建設工事の元請業者または自主施工者は石綿含有建材が使用されているかどうかを調査する必要があり、建築物を解体する作業を伴う建設工事で対象となる床面積の合計が80平方メートル以上のものなどについては、調査結果を都道府県等に報告する必要があるとされています。(出典:環境省「石綿事前調査結果の報告について」)古い建物ほど、調査の結果によって工事内容と費用が変わる可能性があります。

共有のままにしない

相続人が複数いる場合、とりあえず共有にしておくという選択がとられることがあります。しかし共有のままでは、売るときも大規模な工事をするときも全員の関与が必要になり、一人でも意向が違えば動きません。時間が経つほど相続人の世代が増え、話し合いは難しくなります。保有を続けるにしても、誰が管理し、どう意思決定するのかを早い段階で弁護士と整理しておくことをおすすめします。

売る場合に働く仕組みと、働かない仕組み

ポイントは3個:
① 取得費加算の特例には期限があり、相続税を納めていることが前提
② 空き家に係る特別控除は、被相続人の居住用家屋を対象としている
③ 申告期限前に売ると、相続税側の特例に影響する場合がある

取得費加算は期限内なら効く

取得費加算の特例は、相続や遺贈により財産を取得した者であること、その財産を取得した人に相続税が課税されていること、期限内に譲渡していることが要件とされています。取得費に加算する額は、その者の相続税額に、相続税の課税価格の計算の基礎とされた譲渡した財産の価額の割合を乗じて計算し、この特例を適用しないで計算した譲渡益を超える場合はその譲渡益相当額が限度とされています。(出典:前掲・国税庁 No.3267)相続税を納めている場合、期限内の売却は税額に効いてくる可能性があります。

空き家の特別控除は当てはまらないことが多い

相続空き家の特例としてよく紹介される制度は、被相続人居住用家屋やその敷地等を売った場合を対象としています。被相続人居住用家屋とは、相続の開始の直前において被相続人の居住の用に供されていた家屋で、昭和56年5月31日以前に建築されたこと、区分所有建物登記がされている建物でないこと、相続の開始の直前において被相続人以外に居住をしていた人がいなかったことという要件を満たすものとされています。(出典:国税庁 No.3306 被相続人の居住用財産(空き家)を売ったときの特例)

つまり、テナントに貸していた事業用のビルは、この特例の想定とは異なります。相続不動産の売却というだけで使えると思い込むと、見込みが外れます。自分のケースで適用可能性があるかどうかは、税理士に確認してください。

相続税側の特例とのぶつかり

相続した宅地等が事業の用や居住の用として使われている場合には、限度面積までの部分について評価額の一定割合を減額する特例があります。この特例には、区分に応じて、相続税の申告期限まで事業を継続していることや宅地等を保有していることといった要件が定められています。(出典:国税庁 No.4124 小規模宅地等の特例)

相続税の申告期限より前に売却すると、相続税の側で受けられたはずの減額に影響する場合があります。譲渡所得税を軽くするつもりが相続税を増やしては意味がありません。売却時期の設計は、相続税と譲渡所得税の両方を通しで見る必要があるため、税理士に一体で確認してもらう価値が大きい部分です。

取得費と減価償却

相続や贈与によって取得した土地・建物の取得費と取得の時期については、別に定めが置かれています。(出典:国税庁 No.3270)取得費が分からない場合には、売った金額の5パーセント相当額を取得費とすることができるとされています。(出典:国税庁 No.3258)建物の取得費は、購入代金などの合計額から所有期間中の減価償却費相当額を差し引いた額になります。(出典:国税庁 No.3261)先代が古くから保有していたビルでは、取得時の資料が残っているかどうかで結果が大きく変わります。遺品の整理と並行して、購入時の契約書や過年度の申告書を探しておいてください。

3つの選択肢を並べる

ポイントは2個:
① 「一部だけ売る」「買い換える」という中間の形もある
② 比べるのは、10年単位の収支と手取り
選択肢 向いている場面 引き受けるもの
持ち続ける 稼働が安定し、管理できる体制がある場合 報告義務、修繕と更新、将来の解体費、共有の調整
売却する 管理の担い手がいない、分けやすくしたい場合 譲渡所得の負担、賃料収入の消滅、時期の制約
売って買い換える 賃貸経営は続けたいが、この建物は重いという場合 要件と手続きの管理、新たな物件の選定

三つ目については、事業の用に供している特定の地域内の土地建物等を譲渡し、一定期間内に買換資産を取得して取得の日から1年以内に事業の用に供したときに、一定の要件のもとで譲渡益の一部に対する課税を将来に繰り延べる特例があります。(出典:国税庁 No.3405 事業用の資産を買い換えたときの特例)非課税ではなく繰延べであり、届出などの手続きにも期限があるため、実行前に税理士へ相談しておく必要があります。

保有を続けるなら満たしたい条件

ポイントは3個:
① 修繕と更新を織り込んでも収支が回ること
② 管理と意思決定の担い手が決まっていること
③ 出口の想定があること

保有を続ける判断が成り立つのは、この3つが揃うときです。賃料から管理費、公租公課、修繕の積立相当額を引いてなお残るのか。誰が現場を見て、誰が判断するのか。そして、最終的にどうするつもりなのか。とくに出口の想定がないまま持ち続けると、次の相続で同じ問いが繰り返されます。

テナントが入っている場合、建物の賃貸借は、その登記がなくても、建物の引渡しがあったときは、その後その建物について物権を取得した者に対しても効力を生ずるとされています(借地借家法第31条)。(出典:e-Gov法令検索「借地借家法」)売る場合は賃貸借ごと引き継がれ、建て替えを考えるなら明渡しが前提になります。更新拒絶や解約の申入れには正当の事由が求められるとされており(同法第28条)、時間と費用を見込む必要があります。この見通しは弁護士に確認しておくと、計画が現実的になります。

売却する場合の税務

ポイントは3個:
① 譲渡所得は売った金額から取得費と譲渡費用を差し引いて計算する
② 所有期間は譲渡した年の1月1日時点で判定される
③ 事業用建物の譲渡は消費税の課税対象となり得る

譲渡所得は売った金額から取得費と譲渡費用を差し引いて計算し、譲渡した年の1月1日において所有期間が5年を超えるものを長期、5年以下のものを短期として区分されます。(出典:国税庁 No.3202)税率の基礎は長期が所得税15%・住民税5%、短期が所得税30%・住民税9%で、これに復興特別所得税をあわせて申告・納付します。(出典:No.3208/No.3211)

譲渡費用の主なものとして、売るために支払った仲介手数料、売主が負担した印紙税、貸家を売るために借家人に支払った立退料、土地を売るために建物を取り壊したときの取壊し費用とその建物の損失額などが挙げられる一方、修繕費や固定資産税など維持管理のための費用は譲渡費用になりません。(出典:国税庁 No.3255)また、事業に使用していた建物や店舗賃貸用の建物の譲渡は消費税の課税の対象になるとされる一方、土地の譲渡は非課税取引とされています。(出典:No.3240/No.6201)

【税務・法務に関する専門家相談のご案内】

税理士(相続・不動産税務に詳しい方)
取得費加算の適用可否と期限の確認、小規模宅地等の特例との時期の調整、取得費と減価償却の確認、保有を続けた場合と売却した場合の比較、買換えの特例の検討など。相続税の申告を担当した税理士がいれば、情報を共有しておくと精度が上がります。

弁護士(相続・不動産に詳しい方)
遺産分割の進め方、共有を避ける承継方法、管理と意思決定のルールづくり、テナントとの関係や明渡しの見通し、売買契約の条項確認など。分割が固まらなければ売却も大規模修繕も進みません。

建築士
現況の把握、現行法令への適合状況の確認、定期報告の指摘事項の整理、今後必要になる改修の想定など。保有を続けるか判断するための費用感を得られます。

設備業者
受変電設備、給排水、空調、昇降機の状態確認と更新費用の概算。10年単位の収支を組むための数字になります。

判断までの手順

ポイントは2個:
① 期限と義務を確定させてから、収支の話に入る
② 相続人全員が同じ数字を見て話す
  • STEP1|期限を書き出す
    相続開始日、申告期限、取得費加算の譲渡期限、相続登記の期限を日付で並べます。
  • STEP2|分割と登記を整える
    誰が取得するのかを確定し、相続登記を済ませます。協議が難しい場合は弁護士に相談します。
  • STEP3|建物と収支を把握する
    賃貸借契約、入金実績、修繕履歴を整理し、今後10年の支出見込みを専門家に出してもらいます。
  • STEP4|売却時の手取りを試算する
    取得費の資料を確認し、取得費加算を含めた税額を税理士に計算してもらいます。
  • STEP5|担い手を決める
    持ち続けるなら、管理と意思決定を誰が担うのかを明文化します。
  • STEP6|方針を共有する
    相続人全員が同じ資料を見たうえで決めます。決定事項は書面にして残します。
  • よくある質問(FAQ)

    ポイントは2個:
    ① 制度で決まっている期限と、家族の事情で変わる部分を分ける
    ② 数字を揃えてから話し合う
    Q1. 賃料が入っているなら持ち続けたほうが得ですか。
    賃料から管理費や公租公課、修繕や設備更新の費用を引いた後に残る金額で判断する必要があります。今後10年の支出見込みを立てたうえで比べてください。
    Q2. 相続した不動産なら空き家の特例が使えますか。
    被相続人居住用家屋やその敷地等を対象とする制度で、相続開始直前に被相続人の居住の用に供されていたことなどが要件とされています。賃貸していたビルは想定が異なるため、税理士にご確認ください。
    Q3. 取得費加算はいつまでに売ればよいですか。
    相続開始のあった日の翌日から相続税の申告期限の翌日以後3年を経過する日までの譲渡が要件とされています。正確な日付は申告書をもとに確認してください。
    Q4. 相続税の申告期限より前に売ってもよいですか。
    小規模宅地等の特例には申告期限までの事業継続や保有継続といった要件が定められています。相続税側への影響を確認せずに進めると不利になる場合があるため、事前に税理士へご相談ください。
    Q5. 相続登記はいつまでに必要ですか。
    相続の開始を知り、かつ所有権を取得したことを知った日から3年以内に申請する義務があり、正当な理由なく怠ったときは過料の適用対象とされています。
    Q6. 兄弟で共有のまま持っていても問題ありませんか。
    売却や大規模な工事の場面で全員の関与が必要になります。次の相続で人数が増えるとさらに難しくなるため、早い段階で弁護士と整理しておくことをおすすめします。
    Q7. 定期報告をしていないようです。
    対象建築物の範囲や周期は特定行政庁の指定によります。まず対象かどうかを窓口で確認し、必要であれば実施したうえで方針を決める流れが無難です。
    Q8. 購入時の資料が何も残っていません。
    取得費が分からない場合は売った金額の5パーセント相当額を取得費とすることができるとされています。実額で示せれば結果が変わることも多いため、早めに探してください。
    Q9. 賃貸は続けたいが、この建物は重いと感じます。
    事業用資産の買換えの特例では、一定の要件のもとで譲渡益の一部に対する課税を繰り延べられるとされています。要件と手続きの期限があるため、実行前に税理士にご相談ください。
    Q10. テナントがいる状態でも売れますか。
    賃貸借を承継する形での売却は一般的に行われています。賃貸借は買主に引き継がれるため、契約書や敷金の状況を整理したうえで進めてください。

    まとめ

    ポイントは3個:
    ① 期限を書き出すところから始める
    ② 保有には義務と将来の費用がついてくる
    ③ 出口の想定がないまま持ち続けない

    持ち続けるか売るかの答えは、物件ごと、家族ごとに違います。ただ、判断の順序は共通しています。まず期限を確定させ、分割と登記を整え、建物と収支の数字を揃える。ここまで来て初めて、比較ができます。

    保有を選ぶなら、修繕と更新を織り込んでも収支が回り、管理と意思決定の担い手がいて、出口の想定があること。この3つが揃わないまま持ち続けると、負担だけが次の世代に送られます。

    数字の比較は税理士に、分割と権利関係の整理は弁護士に、建物の見通しは建築士や設備業者に。相続人全員が同じ資料を見て話せる状態をつくることが、いちばんの近道になります。

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