区分事務所のテナントが「原状回復」で揉めた時の解決策
QUICK ANSWER ─ この記事が答える問い
退去するテナントと原状回復の範囲で対立したとき、何を基準に話を進めればよいのでしょうか。
まず契約書の特約です。民法は通常損耗と経年変化を原状回復の対象から除いていますが、事業用の賃貸借ではこれと異なる特約が置かれていることが少なくありません。国土交通省のガイドラインは賃貸住宅を対象としたものであり、そのまま当てはまるとは限りません。区分事務所では共用部分との境目も論点になります。特約の有効性は弁護士、費用の税務上の扱いは税理士に確認するのが目安です。
テナントの退去が決まり、見積りを出したら「そこまでは負担できない」と言われた。あるいは、借主側が用意した工事内容では元に戻ったとは言えない。区分事務所の退去では、こうした対立が起きやすいものです。
揉める理由は、当事者が別々の基準を頭に置いているからです。片方は住宅の常識を、もう片方は契約書の特約を前提に話している。これでは噛み合いません。
この記事では、民法と区分所有法、国土交通省の公開情報をもとに、事業用の原状回復で押さえておきたい枠組みと進め方を整理します。制度や数値は2026年9月時点の内容であり、個別の判断は弁護士・税理士などの専門家への相談を前提としてお読みください。
揉める原因は「共通の基準がない」こと
① 民法は、通常損耗と経年変化を原状回復の対象から除いている
② 国土交通省のガイドラインは賃貸住宅を対象としたもの
③ 事業用では、契約書の特約が話の出発点になる
民法が定める原則
賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負うとされています。ただし、通常の使用および収益によって生じた賃借物の損耗ならびに賃借物の経年変化は、この損傷から除かれています。また、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときも義務を負わないとされています(民法第621条)。(出典:e-Gov法令検索「民法」)
条文だけを読めば、使っていれば当然に生じる傷みは賃借人の負担ではない、という構造です。この理解で話を始めると、事業用の契約書の内容とぶつかることがあります。
住宅向けガイドラインとの距離
国土交通省は「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」を公表しており、原状回復を、賃借人の居住・使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用により発生した損耗・毀損を復旧することと定義し、その費用は賃借人負担としています。経年変化や通常の使用による損耗等の修繕費用は賃料に含まれるという考え方が示されています。(出典:国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」について)
ただしこのガイドラインは賃貸住宅を対象として整理されたものです。オフィスや店舗といった事業用の賃貸借にそのまま当てはめられるとは限りません。テナント側がこのガイドラインを根拠に主張してくることもありますが、まずは自分の契約書がどう定めているかを確認するのが順序になります。判断が割れる部分は弁護士に整理してもらうのが確実です。
事業用では特約が前面に出る
① 民法の原状回復の規定と異なる定めを契約で置くことができる
② 特約が意味を持つには、内容が明確で合意されていることが前提になる
③ 「スケルトン返し」の範囲は契約書の書き方で変わる
通常損耗まで負担させる定め
事業用の賃貸借契約書では、通常損耗を含めて賃借人の負担とする定めや、入居時の状態ではなく内装を撤去した状態での返還を求める定めが置かれていることがあります。オフィスや店舗では入居者ごとに内装が大きく変わるため、次のテナントの募集を考えるとこうした形が選ばれやすい事情もあります。
もっとも、条項があれば何でも通るわけではありません。国土交通省のガイドラインに関するQ&Aでも、賃借人に不利な特約は、賃借人がその内容を理解し、契約内容とすることに合意していなければ有効とはいえないと解されていると示されています。(出典:国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」(再改訂版)のQ&A)住宅を念頭に置いた説明ですが、負担の範囲が具体的に示されているか、契約時に説明されているかという観点は、事業用の場面でも意識しておきたいところです。
「元の状態」がどこかを特定する
対立の多くは、戻すべき状態の認識がずれていることから生じます。入居時の写真や図面、引渡し時の確認書があれば、議論は具体的になります。逆に、何も残っていなければ「当時どうだったか」の水掛け論になりがちです。現在のテナントについて資料がないなら、次の契約からは入居時の記録を残す運用に変えておくと、同じ問題を繰り返さずに済みます。
区分事務所ならではの論点
① 専有部分と共用部分の境目によって、誰が費用を負担するかが変わる
② 区分所有者は共同の利益に反する行為をしてはならないとされている
③ 工事の届出や業者の指定が規約で定められている場合がある
区分建物では、専有部分と共用部分の区分が最初の論点になります。サッシや窓、配管の一部、天井裏や壁の内部などは、規約で共用部分として扱われていることがあります。テナントが手を入れた箇所が共用部分に及んでいれば、原状回復の相手は賃借人だけでなく管理組合との関係にも広がります。
また、区分所有者は建物の保存に有害な行為その他建物の管理または使用に関し区分所有者の共同の利益に反する行為をしてはならないとされ、この規定は専有部分を占有する者にも準用されています(建物の区分所有等に関する法律第6条)。規約および集会の決議は特定承継人に対しても効力を生ずるとされています(同法第46条第1項)。(出典:e-Gov法令検索「建物の区分所有等に関する法律」)
工事の届出、搬入経路や作業時間の制限、指定業者の有無といった取決めが規約や細則にある場合、テナントが手配した業者ではそのまま工事に入れないこともあります。退去日程が迫ってから発覚すると双方に損害が出るため、早い段階で管理会社に確認しておくのが安全です。規約の適用関係が不明瞭なときは、弁護士に整理してもらうと交渉の前提が固まります。
敷金の精算と、造作をめぐる論点
① 敷金の返還義務は、賃貸借が終了し賃貸物の返還を受けたときに生じる
② 造作買取請求権に関する規定は、強行規定として列挙されていない
賃貸人は、賃貸借が終了し、かつ、賃貸物の返還を受けたときには、受け取った敷金の額から賃借人の賃貸借に基づいて生じた金銭の給付を目的とする債務の額を控除した残額を返還しなければならないとされています(民法第622条の2第1項)。返還の義務が生じるのは明渡しを受けた後であり、鍵の返還や退去の完了との関係が問題になることがあります。
もう一つ、事業用でしばしば争点になるのが造作です。借地借家法には、賃貸人の同意を得て建物に付加した畳・建具その他の造作について、賃貸借終了時に時価で買い取るべきことを請求できる旨の規定があります(借地借家法第33条)。一方、同法第37条は、第31条、第34条および第35条の規定に反する特約で賃借人または転借人に不利なものを無効とすると定めており、第33条はこの列挙に含まれていません。(出典:e-Gov法令検索「借地借家法」)実務では、この点を踏まえた条項が置かれていることが多く、契約書の確認が欠かせません。
解決の進め方を段階で考える
① 金額の話の前に、範囲の認識を揃える
② 合意できた部分から書面にしていく
| 段階 | やること | 留意点 |
|---|---|---|
| 範囲の整理 | 契約書の条項と現況を照合し、項目ごとに分類する | 通常損耗か、故意過失か、特約の対象かを分ける |
| 見積りの検証 | 複数社から取得し、単価と数量の根拠を確認する | 一式表記のままでは検証できない |
| 協議と合意書 | 負担区分と金額、支払時期、敷金からの控除を書面化する | 清算条項の書き方で後の請求可否が変わる |
| 第三者を入れる | 調停や訴訟を含め、手続きの選択肢を検討する | 時間と費用、空室期間の損失を比較する |
実務で効くのは、見積書を項目ごとに分解することです。壁・床・天井・電気・空調・造作というように分け、それぞれを「通常損耗」「故意過失」「特約による負担」に振り分ければ、どこで意見が割れているのかが見えます。工事の範囲や必要性については建築士や設備業者の見立てを添えると、主張に裏づけができます。合意書の文言は弁護士に確認してから取り交わすのが安全です。
売却を考えている場合
① 未解決のまま売ると、買主が紛争ごと引き継ぐことになりかねない
② 重要な事項について故意に事実を告げない行為は禁止されている
③ 原状回復の未了は、価格や条件の交渉材料になる
退去と売却の時期が重なることは珍しくありません。建物の賃貸借は、その登記がなくても、建物の引渡しがあったときは、その後その建物について物権を取得した者に対しても効力を生ずるとされています(借地借家法第31条)。賃貸借が続いている状態であれば、その関係は買主に引き継がれます。
また、宅地建物取引業者は、取引の相手方等の判断に重要な影響を及ぼす事項について、故意に事実を告げず、または不実のことを告げる行為が禁止されています(宅地建物取引業法第47条第1号)。(出典:e-Gov法令検索「宅地建物取引業法」)係争中であることを伏せて売れば、売主自身の説明義務や契約不適合責任の問題になり得ます。媒介業者には状況を共有し、解決してから売るのか、条件に反映させて売るのかを一緒に検討してください。
費用が動くときの税務
① 維持管理のための費用は譲渡費用にならない
② 貸家を売るために借家人へ支払う立退料は譲渡費用の主なものとされている
③ 受け取った原状回復費用や違約金の扱いは内容によって変わる
譲渡費用の主なものとして、売るために支払った仲介手数料、売主が負担した印紙税、貸家を売るためにその貸家の借家人に支払った立退料などが挙げられる一方、修繕費や固定資産税など資産の維持や管理のためにかかった費用は譲渡費用になりません。(出典:国税庁 タックスアンサー No.3255 譲渡費用となるもの)賃貸人が自ら負担した原状回復工事の費用が、修繕費として扱われるのか資本的支出になるのか、売却との関係でどう整理されるのかは事案によって分かれます。
テナントから受け取る原状回復費用相当額や違約金についても、名目と実質のどちらで判断されるかという問題があります。合意書の文言が税務上の扱いに影響することもあるため、書面を確定させる前に税理士に確認しておくと、後から想定外の負担が生じにくくなります。
売却する場合の譲渡所得は、売った金額から取得費と譲渡費用を差し引いて計算し、譲渡した年の1月1日において所有期間が5年を超えるものを長期、5年以下のものを短期として区分されます。(出典:国税庁 No.3202/No.3208/No.3211)事業に使用していた建物の譲渡は消費税の課税の対象になるとされる一方、土地の譲渡は非課税取引とされています。(出典:No.3240/No.6201)工事をしてから売るか、そのまま売るかで手取りが変わるため、税理士に両方の見通しを出してもらうと判断しやすくなります。
【税務・法務に関する専門家相談のご案内】
弁護士(不動産・賃貸借に詳しい方)
原状回復に関する特約の読み方と有効性の見通し、負担区分の整理、造作や設備に関する取決めの確認、合意書や清算条項の作成、調停・訴訟に進む場合の見通しなど。範囲の議論が固まる前の関与が効果的です。
税理士(不動産税務に詳しい方)
原状回復費用の経費区分、受領した費用や違約金の取扱い、敷金精算の処理、売却する場合の譲渡所得と消費税の見通しなど。合意書を確定させる前の確認が有効です。
建築士
工事範囲の妥当性の検証、専有部分と共用部分の境目の確認、現行法令への適合状況の確認など。見積りの根拠を第三者の視点で裏づける役割を担います。
設備業者
空調・給排水・電気設備の損耗状況の確認、撤去や復旧に必要な範囲と概算費用の把握など。項目ごとの単価の妥当性を見る材料になります。
進め方の手順
① 退去日が決まった時点で動き出す
② やり取りは記録が残る形で行う
原状回復、造作、敷金、工事に関する定めを読み直します。特約の書きぶりが出発点です。
工事の届出、作業時間、指定業者、共用部分の範囲を管理会社に確認します。
双方の立会いで写真を撮り、指摘箇所を書面にします。認識のずれをここで減らします。
通常損耗、故意過失、特約による負担に振り分けます。争点を限定するための作業です。
複数社から取り、単価と数量を確認します。専門家の意見書を添える方法もあります。
負担区分、金額、支払時期、敷金からの控除、清算条項を明記します。文言は弁護士に確認します。
よくある質問(FAQ)
① 条文で決まっている部分と、契約で決まる部分を分ける
② 金額の前に範囲を揃える
まとめ
① 住宅の基準をそのまま持ち込むと話が噛み合わない
② 契約書の特約と、入居時の記録が議論の土台になる
③ 区分建物では共用部分と規約の確認が欠かせない
原状回復の対立は、どちらかが不誠実だから起きるとは限りません。参照している基準が違うだけということも多いものです。まず契約書の条項を開き、どこまでが特約の対象なのかを確かめる。ここから始めれば、議論の範囲は絞れます。
区分事務所では、専有部分と共用部分の境目、工事に関する規約の定めという固有の論点が加わります。テナントとの話がついても管理組合との調整が残るという事態を避けるため、早い段階で管理会社に確認しておくことが有効です。
特約の読み方と合意書の文言は弁護士に、費用の扱いと売却時の手取りは税理士に。範囲を揃え、見積りを分解し、合意できたところから書面にする。この順序を守ることが、結局はいちばん早い解決につながります。
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